ひな祭りの由来や起源って知ってますか?なぜひな人形を飾るのでしょう。

「ひな祭り」は、女の子の健やかな成長と幸せを祈ってお祝いする「五節供」(江戸時代の公式な祝日)のひとつ「上巳(じょうし)の節供」です。

祭りの起源には諸説ありますが、とりわけ平安時代の中頃、紙やわらでつくった人形に、災いや凶事を移して川や海に流す風習として行なわれていた「流し雛」が主な由来のひとつだそう。

「流し雛」とは、人間そっくりの人形をつくり、それを体に当てて擦ったり、息を吹きかけたりすることによって心身の穢れを人形に移し、川や海に流す習わし。

したがって、雛人形がいつまでも祓い清められることなく、長く飾られることを本来は避けなければならなかったのです。

ひな人形のかたづけが遅いと、「婚期が遅れる」といった世にも恐ろしいw俗信はここからきていたのですね。


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いずれにしても、こうした“ヒトガタ流し”の風習に、当時流行していた「ひいな遊び」と、中国から伝わった「上巳」のしきたりがしだいに融合して、今のような「ひな祭り」
になったという考え方が自然でしょう。

ちなみに、「ひいな遊び」は、『源氏物語』や『枕草子』にもちらほらでてきますが、これは宮廷の女性や子どもたちのあいだで行なわれた、いわば「ままごと遊び」。

紙人形と、身のまわりの生活道具をまねた玩具で遊ぶので、季節は春とは限らないですよね。

したがって、3月の節供として「ひな祭り」が行なわれるようになったのは、室町時代とも江戸時代ともいわれ諸説紛々です。


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古来、上巳の節供には、漁村では「磯遊び」「磯祭り」「浜降り」などといって潮干狩りをかねて海岸へ出かけ、持ち寄ったごちそうを食べる神事があったそう。実は潮干狩りも、桃の節供である「磯遊び」が起源なんですね。

今でも静岡県の伊豆東部、瀬戸内の沿岸部、九州西部などでは「桃の節供」に1日がかりで海辺に出かけ、アワビやサザエなどを採ってば雛人形に供える習わしが伝わっています。

ここでひとつ、恐ろしいひな祭りの伝説をご紹介します。

沖縄県や奄美の各地では、3月3日には「浜下り(はまうい)」という習慣が行なわれていますが、その日は女の人だけが連れ立って酒肴を持参し、浜辺で歌や踊りの宴を催して、時には潮干狩りや船遊びまで楽しみます。

ただこの「浜下り(はまうい)」、かつては、けっして男性に見られたり、間違っても家に

いたりしてはいけないといわれていたそうです。

なんでも、その日に家にいると蛇に襲われ、なんとその蛇の子を産んでしまうとのこと。

これは以下の伝説からきているそうです。

その昔、家にいたある女が、アカマタ(蛇の一種)と交わってしまい、ついには孕んでしまった。

悩んだ女は潮水でミソギをしたところ、果たして蛇の子白産むのを免れた。

僕は、沖縄人ですが、この由来にまつわるお話は調べるまで知りませんでした。

ただし、今でも「浜下り(はまうい)」は、おばあ、お母さん、孫娘みたいな感じで、女性だけで連れ立っていくという習慣は、田舎に行けば行くほどいまだ残っています。

一方、農村では野山や河原で飲食を楽しむ「山遊び」が行なわれていたといいます。

この場合も、もちろん雛人形を持参して、多くは河原に飾り、お供えを施し飲食を共にする場合が多いようです。

長崎県の上五島では「山遊び」と「磯遊び」のミックス型「山磯遊び」なんていうのもあるそうですよ。

これらは稲作の始まりに先立って、自然の精霊といっしょに過ごしながら潮水や山中の湧き水でみを清め、人形に災いを擦りつけて流す一連の信仰と考えられています。

 

最後は、ひな祭り用のお役立ちサイトへのリンクです。

まずは、ひな祭り料理のレシピ
ひな祭りはお子様のお母さん手作りのひな祭り料理をふるまってはいかがですか。きっとよろこびますよ。

次に、なつかしいあの曲 ひな祭りの歌『うれしいひな祭り』の歌詞全文&動画

 

ひな祭りの由来や起源についての豆知識はどうでしたか?なぜ、ひな人形を飾るのかわかっていただけたと思います。

また、お役立ち情報みつけてみますので、お楽しみに!!

ではでは!


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