えっ!?弘法大師・空海が同性愛の元祖?てことは、伝説を数々お持ちの、我らがお大師さまはホモセクシャル(ゲイ)でもあったということですか。

弘法大師・空海が同性愛の元祖?ホモセクシャル(ゲイ)?

 
弘法大師・空海は平安時代初期の僧侶です。

みなさん、歴史の授業で習ったことがあると思いますが、弘法大師・空海は真言宗の開祖であり、真言密教の大成者。

弘法大師・空海は、平安時代の宗教界を代表する人物を多く輩出した名門一族出身です。

讃岐国(香川県)に生まれ、15歳で上京、18歳で大学に入学(792年)、24歳で儒教、仏教、道教の三教の優劣を論じた書『三教指帰(さんごうしいき)』を著しました(798年)。

また、31歳では遣唐使留学僧として長安に入り密教を伝授されて帰国。
 


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このように略歴をたどると、弘法大師・空海は、僧侶としては文句なくエリートっぽいですよね。

ただ、弘法大師・空海は僧侶としてだけではなく、若い頃から書家としても名高く、何かと伝説の尽きない人物。

流水に「龍」の字を書いたらそのまま本物の龍になった、とか、手と足と口を使って同時に五種類の字を書いたとか・・・。

さらに、風呂敷や豆腐を発明、いろはうたの作者も弘法大師・空海だと伝えられています。

さらにさらに、驚くべきは、男性同士の同性愛、つまりホモセクシャルを日本に広めたのも弘法大師・空海だとする言い伝えまであるほどなのです。

江戸の儒学者で本草学者だった貝原益軒は、「男色の戯れは弘法以来のことなり」という言葉を残しています。

つまり、弘法大師・空海がホモセクシャル(ゲイ)の元祖だと言っているのです。

とはいっても、ホモセクシャルに関する記録は『万葉集』にも見られますので、弘法大師・空海がホモセクシャル(ゲイ)の元祖だという説はかなりあやしいですが・・・

ただ、弘法大師・空海がホモセクシャルの元祖でなかったとしても、彼自身が、同性愛者(ゲイ)であったという可能性はなきにしもあらず、といえるでしょう。

実は、弘法大師・空海が仏教を学ぶため中国に留学していた時代は、中国でもっともホモセクシャルが多かったと言われる時代で、街には男娼までいたほど。

留学僧の多くが同性愛の経験をして帰国したことは事実ですし、弘法大師・空海も例外ではなく、これこそ最先端のカルチャーだと感激して、こぞってゲイ・ボーイと遊んだのかもしれないですよ。

まったく根拠もなく、弘法大師・空海が同性愛者だったというのは、信者の方、お大師さまファンの方のお怒りを受けそうなので、僕なりの推理をご披露したいと思います。(ちなみに、僕は44日間かけて四国八十八ヶ所めぐりをした経験がありますので、弘法大師・空海のことは稀代のスーパースターとして今でも尊敬していますし、弘法大師が男色家であったとしても敬愛の気持ちは揺らぎません。あしからず。)

まず、弘法大師・空海の大学入学から中国留学直前までの史実をごらんください。

弘法大師・空海は、大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での修行に入り、24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『三教指帰』を著して俗世の教えが真実でないことを示しました。

ただし、この時期より入唐までの弘法大師・空海の足跡は資料が少なく、断片的で不明な点が多いのです。

しかし吉野の金峰山や四国の石鎚山などで山林修行を重ねると共に、幅広く仏教思想を学んだのであろう、といわれています。(『大日経』を初めとする密教経典に出会ったのもこの頃と考えられています)

空海の得度に関しては、現在では、延暦23年(804年)、遣唐使が遭難し来年も遣唐使が派遣されることを知った、入唐直前31歳の年に東大寺戒壇院で得度受戒したという説が有力視されています。

延暦23年(804年)、正規の遣唐使の留学僧(留学期間20年の予定)として唐に渡ります。入唐直前まで一私度僧であった空海が突然留学僧として浮上する過程は、今日なお謎を残しているのです。

伊予親王や奈良仏教界との関係を指摘するむきもありますが定説は現在なおありません。

この謎を解くカギは、弘法大師・空海が同性愛者(ゲイ)であったという言い伝えにあるのではないか、と僕は考えます。

弘法大師・空海は、その活躍した時代から1200年以上経過しても語り継がれる日本宗教界のスーパースターです。

僕自身は、仏陀やキリストなどに日本で匹敵するのは弘法大師・空海以外ありえないとさえ思っています。

それほどの人物ですから、その類まれなる才能によって、お坊さんになったばかりの年に遣唐使の一員になれたということはあったと思います。

ただそれだけの理由で当代のエリートたちと中国に留学できるのだろうか、少し疑問が残りました。

要は、才能があるのは当たり前として、それ以外にコネなども必要だったのではないか、ということです。

言葉は悪いですけど、芸能界でいう枕営業のにおいがプンプンしたのですが・・・

下衆の勘ぐりだと思いますが、伊予親王や奈良仏教界との関係というのは同性愛じゃないでしょうか。

権力のある人間の寵愛(弘法大師・空海の才能だけでなく性的対象に対する)がなければ、得度した年に遣唐使に選ばれる大抜擢はなかったんじゃないかと・・・(弘法大師・空海の両親それぞれの家が莫大な経済力を持っていたという説もありますが、それは今回置いといて・・・)

次に、遣唐使決定後の史実もごらんください。

第16次遣唐使一行には、最澄や橘逸勢らがいました。

最澄はこの時期すでに天皇の護持僧である内供奉十禅師の一人に任命されており、当時の仏教界に確固たる地位を築いていましたが、弘法大師・空海はまったく無名の一沙門。

804年12月に長安に入り、長安で弘法大師・空海が師事したのは、まず醴泉寺のインド僧般若三蔵。

密教を学ぶために必須の梵語(サンスクリット語)に磨きをかけたものと考えられています(空海はこの般若三蔵から梵語の経本や新訳経典を与えられています)。

805年5月になると弘法大師・空海は、密教の第七祖・青龍寺の恵果和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事。

恵果は空海が過酷な修行をすでに十分積んでいたことを初対面の際見抜いて、即座に密教の奥義伝授を開始。

弘法大師・空海は、805年8月には伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられました。

で、806年10月には、20年間だった留学の予定を2年間で切り上げて帰国。

とここまで、長安での驚くほどのスピードで修行をこなす弘法大師・空海のエピソードをごらんになってどうですか?

「さすが、稀代のスーパースター!!日本仏教界のカリスマ!!」って思いますよね。

ただし、ここでも下衆な僕は、こう思います。

確かに、弘法大師・空海は類まれなる才能もあり、日本にいるときから独自の修行を積んでいたはずなので、これだけのスピードで密教の奥義を伝授されたのでしょう。

しかし、それだけではないでしょう。

やっぱ、アレです、同性愛の力だと思います。

ほんとに不遜かもしれませんが、密教の第七祖・青龍寺の恵果和尚も空海同様ホモセクシャル(ゲイ)だったから、かつ、恵果和尚が空海を寵愛したから、だと思います。

ここまでは僕の妄想が大半を占めていますが、ここからはもう少しリアルな根拠。
 


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詳細な経緯は割愛しますが、帰国後、弘法大師・空海と最澄は10年程交流関係を持ちました。

そして、密教の分野に限っては、最澄が空海に対して弟子としての礼を取っていました。

しかし、弘法大師・空海と最澄は徐々に対立するようになり、訣別。

2人の訣別に関しては、古くから最澄からの理趣釈経(「理趣経」の注釈書)の借覧要請を空海が拒絶したことや、最澄の弟子泰範が空海の下へ走った問題があげられています。

ここでは最澄の弟子泰範が空海の下へ走った問題だけを取り上げます。

前述したように、密教の分野に限っては、最澄が空海に対して弟子としての礼を取っていましたので、最澄の弟子たちが弘法大師・空海のもとで宗教上の儀式を受けることもありました。

ただ、ある儀式を終えた後、最澄の弟子たちは皆比叡山に戻りましたが、泰範という弟子だけが弘法大師・空海のもとにとどまりました。

泰範を愛弟子として、また後継者として目していた最澄は再三比叡山に戻るよう促すも、泰範が比叡山に戻ることはありませんでした。

最後は、空海が泰範の手紙を代筆して最澄との宗教上の見解の相違と比叡山に帰る意志のない旨を記し最澄に送ったといわれています。

しかしながら最澄は最後まで泰範が比叡山に戻ることをあきらめていなかったのだとか。

これはまさに、三角関係じゃないですか。

泰範が空海に走ったのは、宗教上の見解の相違が理由であると手紙に書かれていたといいますが、本当は、ぶっちゃけ最澄は弘法大師・空海に寵愛していた愛弟子を寝取られたということなのではないでしょうか。

僕は、今すごいことをガンガン言ってますね。

日本宗教界2大スーパースターをボーイズラブの世界に引きずり込んでしまったわけですよねwww

ただ、この頃には「衆道」と呼ばれる同性愛文化が、僧侶、公家で流行していました。

ですから師匠と弟子がそのような関係になっても何ら不思議がなかったと思います。
 

まとめ

 
というわけで、弘法大師・空海が、日本における同性愛の元祖である、とは言えないと思いますが、弘法大師・空海本人がホモセクシャル(ゲイ)であった可能性は否定できないという解釈をもってまとめとします。

ちなみにこの写真は、昭和5年に三田光一という人を介して念写された写真なのですが、これを眺めていたら今日の記事のことを叱られそうなくらいリアルな表情です。
 
弘法大師、空海、お大師さま、写真
 
いや、それにしてもお大師さまは、りりしいですw

ではでは。

よろしかったら、弘法大師・空海が深くゆかりのある四国八十八ヶ所めぐり(四国遍路)の記事もどうぞ!!
リンク⇒ お遍路さん(四国遍路、四国八十八ヶ所めぐり)の起源って何?お遍路はいつ始まったの?

 


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2 Responses to “えっ!?弘法大師・空海が同性愛の元祖?てことは、伝説を数々お持ちの、我らがお大師さまはホモセクシャル(ゲイ)でもあったということですか。”

  1. いろは より:

    嘘だろう!
    あれは単なる管理人さんの妄想に過ぎないだろう?!
    弘法大師がゲイなんてありえない、絶対、ありえない。

  2. さん より:

    私は勝手にこう推理します。
    空海さんほどの才能ある方っていうのは、前世においても仏教あるいはヒンズー教徒でかなりの修行を積んだ僧だったと思うのです。
    魂の歴史で、前世は凡人だったのに次の人生で空海さんくらいの大活躍が出来るということは有り得ない。
    魂が既に天才の下地というか素質があるわけです。

    それで、前世で十分修行を積んで性欲に惑わされなくなっている人というのは、生まれ変わってもそこまで色欲がなく、性欲に振り回されることがないわけです。
    空海さんが内心男好きだった可能性はあるかもしれませんが、男色によって船に乗れたり、密教を伝授されたわけでは決してないと思います。
    単純に、神への思いの純度が高かったのでしょう。

    でも実はゲスかったらそれもそれでおもしろいですけどね。

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