軍艦島(端島)が世界文化遺産登録へ!!行けない方のための裏ワザ&動画あります!行ける方は歴史を勉強した後、ぜひおすすめクルーズで上陸しましょう。

軍艦島、端島
 
みなさんは、軍艦島ってご存知ですか?

廃墟マニアのひとは、当然ご存知でしょうw

軍艦島は、世界文化遺産の暫定リストに入っていたので、一般の方々でもここ数年で耳にしたことはあるかもしれません。

先日(2015年5月)、ついにイコモスは軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産」を、世界文化遺産に登録するよう勧告しました。

正式採用は6月の第39回世界遺産委員会で決定されることになっていますが、世界文化遺産への登録ほぼ決まりでしょうね。

そこで、今回は、軍艦島について調べてみました。
 


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世間でよばれる「軍艦島」という名前は実は俗称で、正式名称は「端島(はしま)」(住所:長崎県西彼杵郡高島町端島)といいます。

場所は、東経129度45分、北緯32度39分に位置し、野母半島の北西、長崎港から約18キロの海上にあります。

大きさは、南北約480m、東西約160m、面積は約6.3ha、周囲約1.2km、海抜47.7mという小さな島。
 

軍艦島(端島)の歴史

 
江戸時代後期、長崎半島の西の沖合に浮かぶ小さな島で石炭が発見されました。

それ以来、漁師らによってその露出炭が採取され長崎などの町で売られていたといいます。

このころの文献には島の名前は「はしの島」「初島」「端島」などと表記されており、その面積は現在の1/6に満たない小さな岩礁のような島だったとのこと。

明治に入ると本格的に竪坑が掘られ、良質な石炭の産出地として注目されるようになります。

1890年には三菱社によって買収され第2第3の竪坑が開かれるとともに、埋め立てや護岸工事によって島の面積は段階的に拡張されました。

製塩工場や蒸留水機、社立の尋常小学校などもつぎつぎと設立され、住環境も整えられていったといいます。

そして、明治末期には現在とほぼ同じ大きさの人工島に成長し、人口は2,000人に達しました。

1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」までが建設されるようになります。

出炭量が増え、人口が増え、コンクリート造アパートが増えていく中、1921年に地元の新聞紙面で端島が紹介された。

その記事の中で端島は、はじめて「軍艦島」と称されたとされています。

ちなみに、端島の島影が戦艦「土佐」に似ていたことからそう呼ばれるようになったと言われています。

軍艦島、端島

端島の出炭量がピークを迎えるころ、太平洋戦争がはじまりました。

戦時中の貴重な資源供給のために端島が担った役割は大きかったのでしょう。

戦火が激しくなると労働時間制限が廃止され、坑内勤務時間が12時間を超えることもあったそうです。

1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。

1965年(昭和40年)に三ツ瀬区域の新坑が開発され一時期は持ち直しましたが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年(昭和49年)1月15日に閉山しました。

それからは、高層住宅など多くの建造物は30年以上も雨風にさらされ、廃墟と化していったのです。

2009年4月、この島への一般市民の上陸が解禁となりました。

そして世界文化遺産登録目前の現在、「廃虚ブーム」や産業観光への関心の高まりもあり、全国から注目を集めています。
 


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軍艦島(端島)の観光、おすすめクルーズ

 
世界文化遺産登録目前の軍艦島(端島)、廃墟マニアは当然として、一般の僕たちも行ってみたい、島に上陸してみたい、と思いますよね。

では、実際、軍艦島(端島)に上陸して観光したりできるのでしょうか。

答えはイエスです。

軍艦島(端島)は無人島なのでもちろん定期船などはありません。

ただし、ご心配なく!!

2009年4月、軍艦島(端島)への一般市民の上陸が解禁となって以降、複数のツアーやクルーズサービスが出てきています。

各クルーズ会社の評判とか、料金とか、クチコミなどを比較し、ランキングでも作ろうかと当初は考えたのですが、3回も実際に上陸した「ISLAND TRIP」さんという方のブログを発見し、読ませていただいたところ、まだ軍艦島(端島)行ったことのない僕がどんなに細かく調べても太刀打ちできない上質で生の情報が掲載されていましたので、クルーズ、ツアーに関しては、「ISLAND TRIP」さんのサイトにリンクさせていただきますw

ぜひ、ごらんください。
リンク⇒ 軍艦島に三日連続で行ったので、上陸ツアーを比較してみた

ちなみに、軍艦島(端島)ツアー・クルーズで、島に上陸することは可能ですが、島内の建物は倒壊の危険性が高く、長崎市が認めた観光上陸は、島の東側の整備された遊歩道のみです。

本当は、軍艦島(端島)のすみずみまで見てみたいですが、倒壊の危険性が高いのなら仕方ないですよね。

ただし、軍艦島(端島)の東部区域には、海底深くから掘り出した石炭を製品炭にするために使った、選炭施設や貯炭場、竪坑桟橋などの遺構が残っているようです。「鉱業所」と呼ばれる、桟橋に近いこのエリアは、市公認の観光ツアーで見学することが可能だそう。

一方、立ち入り禁止区域となっている西部区域には、炭鉱で働いていた人たちや家族が暮らしていた建築物が今も20棟以上残されているとのこと。

このエリアに残された建物のなかで特に歴史的に重要なのは、30号棟や日給住宅(16~20号棟)、65号棟といわれています。

30号棟は、大正5年(1916年)に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造りのアパート。

「日給住宅」は大正7年(1918年)から大正11年(1922年)にかけて建てられたもの。

9階建てアパートは当時の国内最高層だったといいます。

ちなみに、建物は鉄筋コンクリートですが、中は昔らしい平長屋造りになっていて、家の中に土間があるそうですよ。

そして65号棟は、総戸数300戸以上を誇る大きな建物。軍艦島は人口密度が異常に高かったため、住居は高層にせざるを得なかったのでしょうね。

あー実際見てみたいですね。

でも、一般人が上陸できるポイントは決められているしなあ、なんてあきらめていましたが、ひとつありました、一般人が軍艦島(端島)島内を自由に散策できる方法!!

って、そうとう煽ってしまいましたが、ごめんなさい。

なんてことはない、みなさんご存知、グーグルマップを利用するだけの話です。

そんなこと知ってましたよねw

というわけで、グーグルマップのストリートビューを使って軍艦島(端島)を探索してみましょう。

匂いや音を直接的に体感することはできませんが、少しは実際の探索の気分を味わえるのではないでしょうか。

ぜひ、遊んでみてくださいね。
 

Googleマップのストリートビューを使って「軍艦島」(端島)を探索

 
(例1)65号棟の間から空を見上げる⇒マップを見る65号棟付近

軍艦島の特徴の一つは、集合住宅の密度。コの字型になった建物の向かい合った部屋の窓と窓の距離は驚くほど近いことだそう。

よって、ここで空を見上げると、不思議な形で空が切り取られますよ。お試しください。

(例2)67号棟「X(エックス)階段」⇒マップを見る67号棟X階段付近

通称「X(エックス)階段」と呼ばれる建物外部の階段。人口密度が以上に高い島の建物の工夫といえるでしょうね。

この階段は、ひと一人が通るのがやっとだそうですよ。

(例3)ストリートビューで建物内部を探検⇒マップを見る建物内部

ストリートビューでは島内のほとんどの場所をたっぷりと見学することができます。

建物内部まで階ごとにみられる場所もあるので、歩いて探検している気分を味わえます。

(例4)海沿いの校舎⇒マップを見る海沿いの校舎

海沿いの校舎(1958年建築)のように、老朽化した「軍艦島」(端島)の建物は足元から崩壊がはじまっている場所も多いそうです。

こういうリアルでは絶対立ち入れないところほどグーグルマップストリートビューの出番じゃないでしょうかw
 
プロの動画もよかったらどうぞごらんください。
 

西日本新聞アーカイブス動画

 

 

世界で100万回再生されたというドローンで撮影した軍艦島の動画

 

 

まとめ

 
「軍艦島」(端島)の記事はどうでしたか。

「軍艦島」(端島)の歴史も勉強しがてら、ツアーやクルーズを利用し、実際上陸したくなったでしょう。

「軍艦島」(端島)が世界文化遺産に正式に登録されてしまえば、今以上に観光客が押し寄せてくると思いますので、行くなら今じゃないでしょうか。

でも、仕事がいそがしくてさあ、とか、先立つものがないんだよね、という方もたくさんいらっしゃるでしょう。

そういう方々はさきほどご紹介したGoogleマップ・ストリートビューを使ってバーチャルな「軍艦島」(端島)探索に出かけようではありませんか。

それすら面倒くさいという方はプロが撮影した写真や動画を楽しんでくださいねw

ではでは。
 


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