満島ひかりが映画『夏の終わり』で示した圧倒的な存在感と色気。それを培ってきた土台を3つ考えてみた。

 
 
満島ひかり主演の映画『夏の終わり』を見た。

満島ひかりの圧倒的な存在感と色気にアテられて、なぜか朦朧として頭の中があったかい。最近は、まったく純文学小説なんて読まないのだけれど、人生にどんづまったときに出会って救われた本の読後感とそっくりだ。

もちろん『夏の終わり』という作品の凄さの原点は、原作の瀬戸内寂聴であり、映画は熊切和嘉監督のものである、ということはわかっている。

しかし、今回は、あえて女優・満島ひかりの存在感と色気だけに焦点をあてて考えてみたい。

満島ひかりという女優の圧倒的な存在感と色気はいったいどこから来るのだろう。『夏の終わり』や世間に名を知らしめることになった園子温監督の『愛のむきだし』等の映画のみならず、テレビドラマ『Woman』やコミカルなコマーシャルですら出し惜しみのない存在感と色気は何に由来するのか。

そこで、満島ひかり、その圧倒的な存在感と色気を培ってきた土台を3つを考えてみた。


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満島ひかりが圧倒的な存在感と色気を培ってきた土台、その1

まず、満島ひかりの圧倒的な存在感と色気を培ってきた土台のひとつは、満島ひかりのルーツにあると思う。

ご存知の方も多いと思うが、満島ひかりは沖縄出身である。今でこそ沖縄や沖縄出身者は、あからさまに差別されることはない。それどころか表面上は羨望のまなざしを受けることすらあるかもしれない。

国仲涼子の『ちゅらさん』や安室奈美恵を筆頭に大活躍したアクターズスクール出身者などの功績も多分大きいのだろう。(ちなみに、満島ひかりもアクターズスクール出身で、11歳でユニット「Folder」のメンバーとして歌手デビュー)

ただし、根底の部分ではやはり沖縄はマイノリティーでしかない。

満島ひかりがマイノリティーとして直接的な差別を受けなかったとしても、その体に流れる血の中に脈々と受け継がれた悲しみや苦しみのDNA。そういう、なるべくなら見せたくないマイナス部分が無意識ながらも出てきたときに、それに光が当たって輝いたり、匂いたったりするんじゃないだろうか。

しかも、満島ひかりの父親は、奄美出身の母とフランス系アメリカ人の父との間に生まれたハーフとのこと。戦後の沖縄に駐留していた米兵と沖縄に出稼ぎに来た奄美の女性が恋をしたのかもしれない。

米兵と沖縄人の悲喜こもごもの歴史はいわずもがな。奄美出身者は、昭和29年の奄美の日本復帰により、沖縄では立ち位置が微妙になり琉球政府の公職を追われたり、沖縄人から差別されたりした事実もある。(戦後の沖縄ヤクザには多くの奄美人がいる)

要は、僕がいいたいことは、満島ひかりの血の中には、複雑な民族間の歴史が幾層にも重なっているがごとき、深い陰影が沈んでいるじゃないか、ということだ。(僕の中にも沖縄と奄美の血が流れているのだが、例えば民謡は奄美の方が格段に悲しくてせつなくて心にしみると思う。沖縄民謡はどこか明るい)

深い陰影が表面に出てきたとき、そこに光が当たったとき、満島ひかりの存在感はより立体的になり、色気が匂いたってくるはずだ。

加えて、満島ひかりが幼少期を過ごした場所は、沖縄市(沖縄人は今でもコザとしかいわないが・・・)の中でもパークアベニューというかつての伝説の歓楽街近くである。育った街自体が、色っぽい生き物のようなところなのである。何らかの影響はあるにちがいない。
 
 

満島ひかりが圧倒的な存在感と色気を培ってきた土台、その2

 
次に、満島ひかりの圧倒的な存在感と色気を培ってきた土台の2つ目は、天から与えられたアーティスト(芸術家)、表現者としての体質だと思う。

満島ひかりの幼少期は、本が大好きな少女だったという。人生に多大なる影響を与えられた本は、詩人谷川俊太郎『ままです すきです すてきです』という、しりとり遊びの絵本だそう。

挿絵が怖くてしかたなかったのですが、次の日にはなぜかまた読みたいって思ってしまう。怖いという感情の一方で、実はとてもそれを求めているという、不思議な感覚。その体験があったからこそ、今、人間の気持ちには表と裏があるとか、わりと何でもニュートラルに考えられるんだと思います。

と満島ひかりはインタビューに答えている。

また、何でもノートに書きつづることが長きにわたっての習慣だそうだが、これに関しては、

書くことって、心に溜まっていたものをポイッと捨てられる感じがして好きなんです。

と答えている。完全にこの辺は、表現者としての性(さが)が見事に現れている気がする。

また、満島ひかりを役者へと突き動かしているものは何か、という質問にはこう答えている。

たぶん、芝居をしている時に、ああ生きているなあって思えるからかな。あ、でも、言葉にできないことの方が多くて、実はそちらに本当の理由がいっぱいあったりするから、言葉にするのはやめておきます(笑)

言葉だけで伝えられるくらいなら、女優なんてやらないだろう。

完全に、満島ひかりはアーティストという部分が本質だと思う。


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満島ひかりが圧倒的な存在感と色気を培ってきた土台、その3

 
満島ひかりの圧倒的な存在感と色気を培ってきた土台の3つ目は、世に出るタイミングをつかんだ運とその後の努力だと思う。

満島ひかりは、沖縄を代表するスターである安室奈美恵やSPEEDを育てた「沖縄アクターズスクール」に10歳のときに入学し、11歳でユニット「Folder」のメンバーとして歌手デビューした。

当初は多少売れたが、その後解散。歌手活動は5年で終止符が打たれ、満島ひかりは一人になった。

ただ、一人では何もできない状態がつづく。(ネット動画でものまね番組に出演している彼女や、半裸にエプロン状態で歌を歌っているのも見た)

しばらく、くすぶっていた状態からブレイクする転機になったのが、園子温監督の『愛のむきだし』となる。

Folder5解散後、沖縄に帰ったメンバーもいたが、満島ひかりは東京に残った。

何とかしようともがいたはずだ。方向性的にはさまよったと思うが、結果的に、彼女の本質的な部分をさらけだせる女優という生き方を見つけた。努力しつづけ運を引き寄せた。

泥まみれで一人で頑張っていたときの苦労や悲しみ。それが、満島ひかりの女として人間としての人格を豊かにし存在感が増していったはずだ。チャンスをつかみ、不遇に光が当たったとき、そこにはかならず色気が匂い立つ。
 

最後に

 
まとめると、満島ひかりが映画『夏の終わり』で示した圧倒的な存在感と色気を培ってきた土台は、

1、満島ひかりのルーツ、すなはち、沖縄、奄美大島、フランス、アメリカ等の血。(沖縄、奄美大島、鹿児島にお墓参りをするというから鹿児島も入るかもしれない)

2、アーティストもしくは表現者としての本来的に天から与えられた本質。

3、努力して不遇を乗り越え、運をつかみ人間として女として豊かになっていったこと。

この3つに光が当たったことだと思う。

奇しくも、『夏の終わり』の原作者・瀬戸内寂聴は以下のような言葉を述べている。

人が芸術家となるのは、一に才能、二に才能、三に努力と運だ、と私は信じている。そして運は才能と努力がかねあえば、自然に招きよせられるものであるようだ

 

おまけは、映画に対する瀬戸内寂聴の言葉

四十歳のときに書いた私の小説「夏の終わり」は、自分の作品の中で最も好きなものである。

これを越す小説を書きたいと思いつづけ、九十歳を過ぎてしまった。

自分の経験を私小説の技法で描いた。

ふたりの男の間で揺れ動く、ひとりの女の愛の迷いは半世紀経ても色あせない。

度々、映画やテレビドラマにされたが、今回の熊切和嘉監督の映画は原作にもっとも近く、作者としては生々しさに圧倒され肌に粟を生じて見た。

 

映画にかかわったスタッフにとってはこれ以上ない褒め言葉であろう。原作者をも唸らせた映画『夏の終わり』。それは、表現者としての満島ひかりの圧倒的な存在感と色気にに支えられている、と僕は確信している。


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