松岡修造の熱い名言でカレンダーが大人気!!プロフィールから語録の原点や華麗なる家系を見つけました!

熱い男、松岡修造。

熱い名言で人々の心をつかみ、カレンダー「まいにち、修造!」は70万部を突破するという人気ぶりです。(トータルで本も10冊ほど出しています)

ポジティブな修造語録に元気づけられた方もたくさんいらっしゃるかもしれませんね。

修造語録をいくつかご紹介しつつ考えていきましょう。
 


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松岡修造の熱い名言・語録

 
① 『失敗したらガッツポーズ』

言葉だけ聞くと、なんだこれって思うかもしれませんが、松岡修造にとっては、とても大事な言葉だそうです。

日本では、以前は特に、テニスに限らずスポーツ全般で、失敗しちゃいけない、とたびたび言われたものです。

しかし、松岡さんは18歳で初めて海外に行ったときに、海外の子供たちが失敗しても堂々としている姿を見て衝撃を受けたといいます。

そのとき子供たちのコーチは、失敗したら次につなげればいい、と言っていたとのこと。

その姿勢に感服した松岡修造さんは、失敗したら逆にガッツポーズを作ろうと決心したそう。

今では、ジュニアに対しても、失敗した際にガッツポーズを作る指導をしているのだとか。

実際、失敗した際にフニャとした苦笑いをしてしまうと、気持ちだけでなく筋肉も緩んでしまって試合に影響が出てしまうようです。

松岡修造さんは、失敗しても次につなげることができれば、人はどんどん成長していけるとも言っています。

『喜怒哀楽と書いて人間と読む』

ジュニアの子供たちの心を変えたい修造さん。

感性を養う上で、「喜怒哀楽」というものを全部出してくれないと困ると彼は言います。

感受性微弱と言われている現代の子供たちの「喜怒哀楽」を全部出してあげたい、とのこと。

松岡修造さんにとっては、「喜怒哀楽」があってこそ、人らしくいられるし、そうでないと他人の気持ちなんか分かりっこないと断言するほど。

僕が思うに、「喜怒哀楽と書いて松岡修造と読む」でもいいかもしれませんね。

『自分を持ちたいならサバになれ』

以前「食いしん坊バンザイ」という番組をやっているとき、ある料理屋さんの水族館のような水槽にいるサバを見てこう思ったとのこと。

言葉だけ聞くと、ふざけているようにも感じますが松岡修造さんはいたって真剣です。

水槽の中で、サバだけが周りの何物にも流されず存在して見えたそうです。

ちなみに、群れでいつも一生懸命泳いでいるサバですが、そのサバが沖合に出ていき変化したのがマグロなのだとか(カツオやサワラもサバ科)。

熱き血潮流れるマグロ、松岡修造さんのようなマグロのルーツがサバで、松岡さんが『自分を持ちたいならサバになれ』と語っているのが、なんだかおもしろいです。

修造語録は一見ふざけているようにも思いますが、修造さんは、バカじゃないかと思われてもいいから、くだらないと思われてもいいから、インパクトのある言葉をチョイスしてみんなの心に残ってほしいと考えているようです。

どうしても伝えたいという気持ちが不思議な言葉づかいになるのかもしれないですね。

カレンダーや本を読めば、まだまだたくさんの名言もしくは迷言?がたくさんありますので、興味がある方はぜひ探してください。

さて、そんな熱き松岡修造さんは、どのようなプロセスを経て、現在のようなキャラになっていったのでしょうか。

プロフィールから探っていきましょう。
 


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松岡修造プロフィール

 
松岡修造さんは、1967年、三人兄弟の末っ子として東京都に生まれました。

4000gを超える大きなお子さんだったそうです(現在は、188cm、85kg)。

初めてテニスラケットを握ったのが小学校2年生のとき。

お姉さんがテニスをやっているのを見て、おもしろそうと思ったのがきっかけだそうです。

そして小学校5年生で本格的にテニスを始めます。

プロテニス選手のスクールに通うほど夢中になって、中学では日本一になりますが、なんと当時は才能がないと言われていました。

その当時は、1歳年上のお兄さんの方が、才能がある天才だと周囲からは言われていたとのこと。

ただし、試合は勝てていたので、どうして周りは自分を認めてくれないんだという気持ちでいっぱいだったそうです。

その後、高校生になった修造さんは、一時期、テニスで勝てなくなり、麻雀にハマってしまいます。

本当に、これで生活しようかというくらい一時期はどっぷりハマったそうです。

無事、その後テニスに戻るのですが、麻雀における人の心を読むという技術は、テニスにも役立った、と松岡さんは言います。

立ち直った松岡修造さんは、軍隊のように厳しいと当時いわれた柳川高校に転校しテニスに打ち込むようになります。

そして高校総体では、シングル、ダブルス、団体の三冠に輝きます。

高校3年生のときには、世界的名コーチといわれたボブ・ブレットさんの目にとまり、単身アメリカに渡りプロとしての生活をスタートさせます。

世界を転戦しますが、無名の日本人テニスプレーヤーにとっては辛く厳しい生活が待っていました。

この辛く厳しかった海外転戦時代が、日本のジュニアの教育システムを作ろうと思ったことの原点だと松岡さんは言います。

この時代、日本人テニスプレーヤーで世界ランキング300位に入っている人がひとりもいなかった時代なので、松岡修造さんの困難さは想像できますよね。

無名の日本人がコートに来ても、無視され、誰ひとり練習相手をしてくれなかったそうです。それが続くと、楽な道、すなはち日本に帰ることも頭をよぎったそうですが、これを乗り越えないと世界はないと思い踏ん張ったと言います。

そのときの辛さや、英語や自己表現の苦手な日本人の弱点を痛感したからこそ、錦織選手を含めた生徒たちにメンタルや表現力を含めた合理的な指導ができるのですね。

無名の転戦時代の松岡さんが、メンタルを鍛えるために編み出したのは、状況が悪い時でも、反対のポジティブな心構えを持つことでした。「できない」と思ったときでも「できるよ、絶対できるよ!修造!!」と逆の言葉でみずからを鼓舞したそうです。

そういう行為を続けていると自然と行動自体が変わっていったといいます。(怪我をしたときでも、修造さんはあえて笑うようにしたそう)

きっと、修造語録はこうした辛い修行時代の積み重ねの集大成なんんでしょうね。

その後、松岡修造さんは、努力が実り、世界ランク46位まで順位を上げました。

そしてその3年後、27歳のときにウィンブルドンでベスト8という快挙を達成します(日本人として62年ぶりのベスト8)。

プライベートでは、1998年に元テレビ東京アナウンサーの田口惠美子さんと結婚し、3人のお子さんにも恵まれています。(長女・恵(めぐみ)さん13歳、長男・修(しゅう)くん8歳、。次女・笑(えみ)さん7歳)

まもなくして30歳という若さで現役を引退した後、ジュニア強化育成プログラム、システムを作り上げ、錦織圭を筆頭にたくさんの才能を世界に送り出しています。

最後に、現在大人気の松岡修造さんですが、調べてみると彼の家系はとても華麗でした。

松岡修造・華麗なる一族

高祖父:松岡修造さん (松岡汽船創業者)

曽祖父:松岡潤吉さん (松岡汽船創業者社長、元貴族院議員)

曽祖父:小林一三さん (阪急東宝グループ創業者)

曾祖叔父:田邊七六さん (元貴族院議員)

曾祖叔父:田邊宗英さん (第4代後楽園スタジアム社長)

祖父:松岡辰郎さん (第9代東宝社長)

義祖父:小林米三さん (元阪急電鉄社長)

従祖叔父:田邊圀男さん (総理府総務長官)

父:松岡功さん (第11代東宝社長、現東宝名誉会長)

母:千波静さん   (宝塚歌劇団卒業生)

兄:松岡宏泰さん (東宝東和社長)

義兄:辻芳樹さん (辻調理師専門学校校長)

義伯父:三村庸平さん (元三菱商事社長・会長)

義伯父:三村亮平さん (阪急不動産副社長)

義伯父:小林公平 (元阪急電鉄社長・会長)

従叔父:鳥井信一郎 (元サントリー社長・会長)

従兄:小林公一 (阪急阪神ホールディングス取締役,宝塚歌劇団理事長)

ちなみに、松岡修造さんの妻・松岡恵美子(旧名田口恵美子)さんもハーバード大学卒の元テレビ東京アナウンサーというおひと。

松岡修造の何をしてもけっして下品にならない感じは、バックボーンというか育ちの良さが大きな理由のひとつかもしれませんね。

これからも、ポジティブな言動で日本中を元気づけてくれるでしょう。

松岡修造。これからも目が離せません!

ではでは。
 


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