ベストセラー作家・天童荒太の直木賞受賞作『悼む人』を堤 幸彦が映画化。秘められた原作のバックストーリーとあらすじ。そして出演する豪華キャスト。

ベストセラー作家・天童荒太の直木賞受賞「悼む人」を、堤幸彦監督が「明日の記憶」「くちづけ」の流れをくむ“正統派”スタイルで映画化。

高良健吾、石田ゆり子、井浦新、貫地谷しほり、椎名桔平、大竹しのぶほか実力派俳優が集結し、人の繊細な心情を描き出すヒューマン・ドラマの見逃せないポイントとは?
 
 

 
 

「悼む人」の本格派キャスト

 
生と死、そして愛を見つめる真摯な作品には、日本映画界を代表する実力派俳優たちがそろった。

坂築静人 – 高良健吾
奈儀倖世 – 石田ゆり子
甲水朔也 – 井浦新
坂築美汐 – 貫地谷しほり   
福埜怜司 – 山本裕典
水口 – 甲本雅裕
弁護士 -堂珍嘉邦
沼田響子 – 麻生祐未
沼田雄吉 – 山崎一
上條恒彦
高久保英剛 – 生島翔
比田雅恵 – 戸田恵子
尾国理々子 – 秋山菜津子
坂築鷹彦 – 平田満
蒔野抗太郎 – 椎名桔平
坂築巡子 – 大竹しのぶ
 
 

「悼む人」の実力派スタッフ

 
メガホンをとったのは、日本映画をリードするヒット・メーカーのひとり、堤幸彦。「20世紀少年」や「劇場版 SPEC」シリーズなどのエンターテインメント作品が印象深いが、その一方で渡辺謙主演「明日の記憶」や竹中直人主演「くちづけ」など、現代日本の問題に焦点を当てた作品も手掛けている。本作ではその作風をさらに突き詰め、舞台化したほどほれ込んでいた原作を念願の映画化。舞台版でも組んだ大森寿美男(「アゲイン 28年目の甲子園」)が脚本を担当し、相馬大輔(「TOKYO TRIBE」)のカメラが、美しい自然と幻想的なシーンを捉えている。

監督:堤幸彦
脚本:大森寿美男
原作:天童荒太『悼む人』(文春文庫刊)
音楽:中島ノブユキ
主題歌:熊谷育美「旅路」(テイチクエンタテインメント)
企画協力:文藝春秋
特別協力:朝日新聞社
製作:キノフィルムズ
製作プロダクション:オフィスクレッシェンド
配給:東映
製作委員会:「悼む人」製作委員会
 


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「悼む人」原作が書かれるに至ったバックストーリー

 
天童荒太というベストセラー作家が『悼む人』を書くに至ったきっかけのひとつは、9.11アメリカ同時多発テロに対する10・7の報復攻撃だった。

亡くなったひとりひとりの名前とストーリーが連日報道され追悼されるテロの犠牲者たち。一方、テロへの報復攻撃で多くの死者が出たアフガンやイラクの市民たちは名前も知られず、死者の数だけが報道される匿名の死(統計的な死者としてカウントされるだけの死)。

「なぜ、私たちは、すべての死者を平等に追悼することができないのか」

天童は、言い難い絶望感と無力感に苛まれた。

このことから、死者を悼んで旅する人の着想が生まれたそう。

実際に天童は各地で亡くなった人を悼んで歩き、メディアで報道される故人の中から毎日一人選んで、その人を悼む日記を毎日3年にわたって書き続けたという。

そして天童荒太はその体験を熟成させ、2008年、『悼む人』を完成させた。
 

「悼む人」あらすじ

 
地にひざまづき、右手を頭上に挙げて空中に漂う何かを捕らえるように自分の胸へ運ぶ。左手を地面すれすれに下ろして大地の息吹をすくうかのように胸へ運び、右手の上に重ねる。目を閉じて、何かを唱えるように唇を動かす青年。

週刊誌記者・蒔野抗太郎は、とある事故現場で何やら奇妙な儀式を行う青年に出会った。

青年の名は、坂築静人。

静人は、身内の死、友人の死、ボランティアで訪問していた病院の子どもたちの死など、いくつかの死を契機にはじまった不可思議な旅を続けている。

その旅とは、新聞・テレビ・雑誌などで知った不慮の死を遂げた『自分とつながりのない他者の死』を悼むための旅であった。

死者の愛にまつわる記憶、すなわち、生前「誰に愛され、誰を愛し、どんなことで感謝されたのか」だけを胸に刻み、決して忘れないと誓う静人であったが、そんな彼を理解する人は少ない。

しかし、静人の悼む行為そのものは、彼に関わる様々なひとびとの死生観を大きく揺さぶっていく。

蒔野は残忍な殺人や男女の愛憎がらみの事件の記事を得意とする週刊誌記者。

蒔野が個人的に開設したサイトには、醜悪で、卑猥で、人はかくも非道になれるかという加害・被害の実体験の書き込みが全国から寄せられていた。

人の善意を信じられぬ、猜疑心の塊のような蒔野は、静人の不可解な行動=(悼み)に疑念を持つ。

「そんなことをして一体何になるというのか?」

蒔野は静人の化けの皮を剥ぐべく、彼の身辺を調べ始める。

その頃、静人の母・坂築巡子は末期の胃癌を患っていた。

病院での治療も効果があがらず、横浜の自宅でホスピスケアを受けながら死を迎える決意をする。

幼い頃から対人恐怖症の傾向があり、他人の顔を見て話すのが難しいというハンデを背負う巡子の夫・鷹彦は、会社を辞めて巡子の介護に専念する。

二人の娘で静人の妹・美汐も、母の病を知り実家に戻った。

やがて恋人の子供を身ごもっていることが判明するが、その恋人とはすでに別れたという。そこには静人の存在が影を落としていた。

「仏様の生まれ変わり」と言われた夫・甲水朔也を殺害し、4年の刑期を終えて出獄した奈義倖世。

身寄りはなく、行く宛てもない。おまけに自らが手にかけた夫が亡霊のごとき存在と化し、肩口から語りかけてくるのだ。

途方にくれた倖世は、二度と足を踏み入れぬつもりだった東北の町を訪れ、殺害現場で朔也を悼む静人と出会う。

動揺する倖世に、静人は「この方は生前、誰を愛し、誰に愛されたでしょうか?誰かに感謝されたことがあったでしょうか?」と問いかける。

静人の真意をいぶかる倖世は、夫を殺した事実を告げぬまま、静人と行動をともにする。

静人=(悼む人)と彼を巡る人々が織り成す生と死、善と悪、愛と憎しみ、罪と許しのドラマが今、はじまる。
 


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「悼む人」を読んだ感想

 
大災害や大事件、大事故がおこると、マスメディアは連日そのネタをとりあげる。

最初は事実関係が中心の速報ニュースが主であるが、日を追っていくとワイドショーなどは、災害や事故・事件の被害者ひとりひとりのこれまでの人生や残された家族に焦点を当てていくというのが最近のパターンだと思う。

2011年の東北の大震災ときは何ヶ月にもわたって、多くの亡くなられた方々の人生を掘り下げる番組がたくさんあったと記憶する。

韓国のフェリーが転覆し多くの韓国人高校生が亡くなったときもかなり細かい報道がなされていたはず。

折しも、ここ数日はジャーナリストの後藤さんやヨルダン人パイロットが殺害されたニュースがテレビを賑わしている。

大災害や大事件の場合、マスメディアによって知らない他者の死に対して哀悼の念や憐憫、憤りなど感情移入をしてしまう人も多いだろう。

ただ、感情移入をしたのが何百年に一度の大災害だとしても、凶悪事件だとしても、ほとんどの人間は自分自身の生活や身近な関係性にもどり、無関係な匿名の人間の死は記憶から忘れ去られてゆくのが通常だ。

新聞の片隅に載っている小さな記事における他者の死などは言わずもがな。

静人はニュースや記事で伝えられる『匿名の人間の死』を、『実名の人間の死』へと置き換えるために『悼む』旅を続けており、ひとりひとりの死者の周辺情報や人間関係を細かくノートに記録して、決して忘れないようにしようと努める。

大多数の人にとっては、いい年をして仕事もせずに少ない貯金を切り崩して『放浪の悼む旅』を続けている静人は、自分自身のやるべきことから逃避した偽善的な人間のように見えるかもしれない。

ただ、奇しくもイスラム国のように無差別に人を殺す人間が蔓延する世の中を見ていると、正反対の静人のような存在は、リアリティーはないかもしれないが、われわれにとって今こそ必要な理想像ではないかと思えてくるのだ。

 

ちなみに作者の天童荒太はインタビューで悼む人が降りてきた経緯をこう話している。

どうにもならないのかという絶望感のあまり、僕の中の核となる部分が地に顔を伏せるような、背中がたわむような感覚を覚えるようになっていきました。

そんなとき「ただ悼むことしかできない人間」が、自分の中に下りてきたんです。

人間が最終的に願うことの一つは、自分や愛した者のことを、人に忘れずにいてほしいということでしょう。

そして、どんな人も差をつけずに悼むということは、生きているどんな人も区別せずに公平に向き合うことにつながるように思ったんです。

だから、どんな死者であれ等しく、永く悼み続けてくれる人、彼こそが、僕がいまこの世界において一番いてほしい人間だと信じられ、いわば僕の最も希求するヒーロー像を書いてみようと思ったのが<悼む人>です

 

天童にとって、<悼む人>静人は、現実にはいないが、一番いてほしいヒーローである。

ただし、ただでさえ現実感のない静人が聖者のように、僕らとは関係のない、あちら側の話になっては意味がない。

そこで、末期の胃癌を患う母・巡子という身内の死をめぐる柱は必要な1本だったと思う。

また、雑誌記者・蒔野のように、悼む行為に何の意味があるのか、と問いかける現実感覚のある人間との対立も必要な1本の柱だったはずだ。

そして、聖なるラブストーリーを展開する倖世との関わりは、非常にこれも重要な1本の柱だ。聖者ではない一人の普通の男として愛に溺れるが、悼む行為を続ける普通の男が、普通の人間が違うステージにたどりつけるのではないか、という微かな希望を持たしてくれる。

結局、静人の悼む行為は、俗世的には最初から何の意味もない行為かもしれない。

生きるという行為とまったく同じだ。

僕らは、ただ今を生きるしかない。そう思わされた。

 


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